弁護人=「自分一人で殺したのだという風に変わったのは、車の事を聞かれたからだ、と前に言いましたね」「そこのところをもっと説明してくれませんか」被告人=「最初三人で殺したと言っていて、自分ではやっていないと言っていましたが、原検事さんが精液を出して見れば分かると言ったのと、車の事を言われたので、自分は詰まってしまって三人から一人と言い変えたのです」弁護人=「あなたは前に精液というのは分からないと言っていましたね」被告人=「その後勉強したです」弁護人=「自動車の事を聞かれたり、原検事から精液を出して調べれば分かると言われたことが重なっているわけですか」被告人=「そうです」弁護人=「原検事は、どうして精液を出させると言ったのですか」被告人=「お前が嫌だと言っても、わしらだったらどうにでもなるんだ、と言ったです。だから怖くなって、何となく一人でやっちゃったと言ったと思います。具体的にどういう風にやると言ったかは記憶にありません」・・・。
「わしらだったらどうにでもなるんだ」という発言。この、大手暴力団員ですら耳をふさぐ言葉は往々にして冤罪事件に登場する決まり文句である。私などは、人相極悪、挙動不審なゆえ職務質問を日に何度も受け、やがては狭山事件のように自身に厄が掛かることを想定し、シュミレーションを繰り返す日々である。しかし、狭い小部屋で私以上に人相の悪い権力者らに上記のタンカを切られた場合、果たして身の潔白を押し通せるのかどうか、自信はない。どうあがいても無駄だと、この公判調書は教えてくれたのであった。
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