アル中の脳内日記

アル中親父による一人雑談ブログ

狭山の黒い闇に触れる 256

弁護人=「三人でやったと述べていた頃の自白調書を見ると、三人で○○(被害者名)ちゃんを捕まえてから狭山精密の方へ行き、庄重さんのところで雨戸を閉めていたとか、お寺の女の人が洗濯物を取り入れていた、というようなことが書いてありますが、それはあなたの言ったことですか」被告人=「言いました」弁護人=「どうしてそういうことを言ったのですか」被告人=「午後から雨が降ったと思いますので、いい加減に言いました。そうしたら、二、三日経って警察で調べに行ったら、それがぴたり一致した、と言われました。だから三人で殺したのは間違いないと言われました」弁護人=「雨戸を閉めたとか洗濯物を取り入れたとかいう話は、あなたが自分で作った話なのですね」被告人=「そうです」弁護人=「あなたは検証の時などで説明しているように、五月一日の日には入間川駅で降りて、八百屋の前を通って、たばこ屋でたばこを買って小学校の方へ行ったわけでしょう」被告人=「そうです」弁護人=「その間に雨にあったことがあるのですね」被告人=「あります」弁護人=「どの辺で雨にあいましたか」被告人=「小学校の付近だと思います」・・・・・・。被告人が三人犯行説を述べていた段階で、「雨戸を閉めていた、洗濯物を取り入れていた」旨の架空の話が、あろうことか事実と偶然の一致を見せ、これを警察は確認、三人犯行説は現実のこととなりつつあった模様がよく分かる。なお、警察は「三人で殺したことは間違いない」と言いながら、ゆくゆくは単独犯行という筋書きで押し通す事になるのであり、右往左往する取調官らの動きは、当時の捜査能力の限界を露呈してはいないか。                                     

( 前回と今回引用した地図の写真は、単独犯行としての石川被告人の行動経路を示している。しかしこれではわかりにくいので、後日、全体写真を引用しよう。写真は“無実の獄25年・狭山事件写真集・部落解放同盟中央本部中央狭山闘争本部編・解放出版社より引用)