アル中の脳内日記

アル中親父による一人雑談ブログ

狭山の黒い闇に触れる 253

狭山事件公判調書第二審、第二十六回公判・昭和43年の記録を私は読んでおり、頁は1171丁である。川越警察署分室で被害者の腕時計の行方を追求された石川一雄被告人は、取調官らにいい加減な証言を放ち、その場を凌ごうとするが、質屋の件はすぐ嘘だとばれ、それではと、取調官の「どこかに捨てたんだろう」との発言に飛びついた。弁護人=「地図を書いたのはいつ頃ですか」被告人=「その地図を書いたのは二十七日頃だと思います」「地図を書いた日の、次の日の夕方時計を見せられたと思います」「その地図を書いた日は雨が随分降って来ました」 弁護人=「いつ頃から降って来たのですか」被告人=「夕方からだと思います。雷が物凄く鳴って来て、手錠を掛けていたものだから、それを外してやろうかといって片方だけ外してくれたのです。片方は書物をするのでいつも外していて、いつも片方しか掛けてなかったのですが、それを外してくれたわけです。それから、いつも調べている所が雨が降るので、弁護士さんと面会する所へ移ったのを記憶しています」弁護人=「雨が降り出して雷が鳴って来たというのは調べを受けている時ですか」被告人=「そうです」弁護人=「そういうことがあった翌日、時計を見せられたという記憶なのですね」被告人=「そうです。自分でもその時計をはめてみました」・・・・・・。ここでは、被告人が取調室で時計を見せられた時期を絞り込むためか、その日の気候を含め問答を行なっている。被告人がこれだけ具体的に語れるということは、それが事実だからだと私は思う。第一審の自白調書、その “ぶっきらぼう ” な “ 作文 ” とは大違いである。                                                                   
(高円寺古書会館で古本を買い、江戸丸で天ぷらソバを食い平和に過ごす)