アル中の脳内日記

アル中親父による一人雑談ブログ

狭山の黒い闇に触れる 251

「第二六回公判 ( 供述 )」は、引き続き昭和43年の記録であり、事件発生からすでに5年が経っている。関係者たちの記憶は薄れてゆかぬか心配であるが、さて法廷では裁判長および主任弁護人らによる尋問が開始され、公判冒頭の「( 狭山署から) 川越警察署に行ったのはいつだったか」の問いに石川一雄被告人は「六月十七日の夕方です」と答える。中々の記憶力を見せる被告人に対し弁護人は、被告が川越警察署で絶食を行なった件に触れる。被告人は「川越へ行った夜、一食少し食いましたが、箱の飯で臭いために残して、その次の日から青木さんという俺を受け持っている人にパンを三食買ってもらったと思います。その後、長谷部捜査課長さんに話して警察の飯を食わしてもらったです。それから斎藤さんとけんかをして臭ければ食うなと言われたので、それから絶食したから大体十九日か二十日頃からだと思います」と述べ、やはり記憶能力の高さを窺わさせる。続いて被告人は川越警察署で裁判官の調べを受けた事実を認め、「石川君は○○(被害者名)さんを殺していないですかと言われたので、殺していませんと言ったら、署長さんから聞いていたらしく、三人でやったというのは何ですか、ということを聞かれたです。それで、もし聞きたかったら裁判所に連れて行ってください、と言ったです」と、その質問内容の一部を述べた。弁護人の「川越警察署で会ったことを覚えているか」に対しては「十八日に会った」「それから二十日頃にも会った。二十日は三分間ぐらいだと思う」と答え、これらの正確な記憶力は、ある意味で石川一雄被告人の証言、その信用度を強固にしていると私は思った。(続く)