アル中の脳内日記

アル中親父による一人雑談ブログ

狭山の黒い闇に触れる 144

前回の戸谷報告をまとめると「人間が書く文字、その字画構成はある程度の分布を示す。この分布を比較することが肝要であり、従って統計的方法、推計的方法を導入しなければ真実の比較はできない」と、こうなろうか。さて公判調書1017丁上段十三行目から戸谷報告の続きを引用しよう。「そこで、筆跡鑑定における統計的方法の必然性というところで先ず、字画構成要素の分布ということですが、字画構成要素の分布というのは、先程述べたように木偏の第一画と第二画の比が人によって各々違う分布をしているけれど、一応各個人特有のある分布をもっていることであり筆跡鑑定を“裁判2八十五頁”にあげてあるという、天という字の第一画と第二画、あるいは第三画、第四画のなす角度、そういうものはどんなところをあげてみても皆分布をしているので、そういう分布をしているものの比較というものはどうなのかというと、こういうものの比較をするのは統計的の方法でしかないわけです。こういうような統計的処理ということ、あるいは統計的比較ということなしには、先に述べた筆跡鑑定の要素である相同性と相異性、あるいは稀少性、常同性といったことを比較し得ないわけであって、字画構成要素の分布を調べて、そしてそういう分布の比較の中から同一人のものであるか、同一人ではないかということの結論がでてくるわけです。こういう分布を比較するということの教学的意味は簡単ですが、実際に一人の人が書く字が、字画構成要素である分布だけから果たして特徴が掴めるものかどうかもいうことが統計的な方法に入る前に、まず疑問に思われる人が多いのではないかと思います。それで、その問題について5の“欧米における筆跡鑑定の歴史と現状”について触れますが、科学朝日五十五頁にあげた第六図、これは    

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ロカールという人がフランス語のムッシューという字について鑑定した、その一例ですが、その第六図を見ると横軸の方にm1・m2・m3とmが三つ書いてあります。mという字は縦棒が三つ並ぶわけで、そのm1・m2・m3というのはm1はmの最初の縦棒、m2はmの真中の縦棒、m3はmの最後の縦棒の高さを表したもので、sという字の高さ六を基準にして、最初のmの最初の縦棒の高さ、二番目のmの真中の縦棒の高さ、三番目のmの最後の縦棒の高さ、oという字の一番上と下の高さ、nは二つ縦棒がありますからm同様その二つの縦棒を例えばとってやる。それからsの高さ、i ・cの高さ、uも二つ縦棒がありますからm同様その二つの縦棒の高さ、rの高さ、こういったものをある一人の人が書いた幾つかの字を平均して高さの分布を書いてみると、第六回の実線で書いたような恰好になる。これを言葉でいい直すと、実線で書いた人の癖というのは、mという字の最初は割合に高く、後のm二つは、その半分に近い程短い、そしてoはかなり大きく書いて、nは小さく書く、そしてsに比べてiもの小さく、e、u、rの中u二つの縦棒が割合平均的な大きさで最後のrが大きくなっている。こういうパターン即ち図形が得られる。また、別の人について同じムッシューという字をいっぱい集めてそれの平均値を書いてみたら、線で書いたような真中のsの字が一番高くて両端の方が低いというような書方をしている。そういうパターンをとってみると割合に各個人の癖というものがはっきり出てくるということを、実験によってかなり詳細に調べています」・・・戸谷報告はまだまだ続く。本日引用した文中に「パターン」という語がある。原文では「パタン」と表記されているが、この発音は原語に近いらしく、この公判が開かれていた時代はこの発音が主流だったようである。今回この語のみ、「パタン」改め「パターン」と表記した。