アル中の脳内日記

アル中親父による一人雑談ブログ

狭山の黒い闇に触れる 137

戸谷  富之鑑定人による報告そのニ。〈従来の筆跡鑑定方法について〉「今まで見た幾つかの鑑定書でみられるのは、相同性あるいは相異性ということは割合に論じてある。然し稀少性あるいは常同性については殆ど触れていない。例えば札幌の札という字が被検文書の中にも照合文書の中にもあったとする。そうすると例えばある鑑定人は、第一画が割合短くて第二画の縦棒が非常に長いのが被検文書の中にみられる木偏の特徴だというようにあげている。また、例えば木偏の第三画をどこから起筆するか、木偏の縦棒のどの辺から起筆しているかということに注目して、木偏の起筆が第一画と第二画の交点よりも下がったところから、例えば起筆されている。それがある被検文書にみられる特徴である。そういうような指摘の仕方をします。確かに照合文書の比べられておる字をみるとその鑑定人の言われているとおり、第一画は割合短くて第二画が長く、そうして第三画は第一画、第二画の交点から少しずれたところから起筆されている。そういうことは確かに鑑定人があげている字を比べている限り同じようにできています。ところが、第一画が割合短くて第二画が長いのがその人個人の特有の筆癖になるかどうか、あるいは、第一画と第二画の交点からずれたところから第三画を起筆する、それが被検文書にみられる木偏の特徴になっていると言っているが、それが一般にはみられない特徴であるかどうかを、例えば色々の人が色々の状況下に書いた木偏をもって来て調べてみると、第一画が短くて第二画が長いというのは、半分程の人は第一画が短く第二画が長い、殆ど総ての人が第一画と第二画の交点から第三画を起筆するのではなく、交点から必ず少し下がったところから起筆している。その事情は科学朝日(戸谷氏が参考資料として提出した書物。科学朝日:昭和四十一年六月号掲載四九頁から五五頁まで。筆者注)五四頁の〈統計的な考察から〉の一番下の行にa.bと書いてありますが、         

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それは、aという人とbという人、二人を選んでその二人の人が書いた木偏の第一画と第二画の比較をとってその数値を書いたものが表としてあげてあるもので、例えばaという人の木偏を七つとってきて比を比較してみると、第一画は第二画の大体半分から八割位 〇.五四、〇.五六、〇.六二、〇.六三、〇.六六、〇.七三、〇.七六という比をもっています。bという人は第一画に比べて第二画が比較的長い、即ち、第一画が割合短かいわけですが、その人は〇.四五、〇.四五、〇.四八、〇.五〇、〇.五〇、〇.五四、〇.五七とこういうような第一画と第二画の比をもっているわけです。そうして従来の鑑定方法でみてみると、例えば恰度同じ位の木偏を被検文書の方から捜し出してきて、照合文書の方から恰度同じ位の木偏をもってきて両方が似ているというわけですが、例えば、aという人の〇.五四は、その人にとっては比較的第一画を短く書いた字であります。それとbという人にとっては〇.五四は、比較的第一画を長く書いた字であります。(科学朝日五四頁左側の一番下の行参照)そういうものを比べてみると恰度両方同じような長さの比になっているわけです。そういうようなことから、比較の方法自体にかなりその人自身の身勝手さというか、はじめみて直感的にこれは同じ人が書いたものだと思うと、似ているようなものを幾つか拾ってきてあげる。そうしてこれは同一人が書いたんだというような、結論をしているのではないかといわれるわけです」・・・。私は今、とても充実した気持ちで戸谷報告を読んでいる。筆跡鑑定の奥深さがこれほどまで分かる書物を見たことは無かったからである。そして今のところは筆跡鑑定という枠の中で話は進行しているが、私としては、筆跡鑑定と共に脅迫状の文体や、使われた語、あて字から脅迫状の書き手、まぁ犯人ですな、これに迫るような展開になるか、調書を見ていこう。