アル中の脳内日記

アル中親父による一人雑談ブログ

狭山の黒い闇に触れる 136

( 前回より続く)戸谷 富之鑑定人「〜それは全く論理的な問題であって、筆跡鑑定の要素ということについては、問題がないのではないかと思います。筆跡鑑定が可能かどうかということは、今ヨーロッパでも非常に問題になっております。それは結局希少性をもつような個人特有な筆癖が常同性をもって真実にその人の書く字の中に表れるものであるかどうかということです」・・・。私は今、後悔している。上記の記述は前回にまとめて載せるべきだった。戸谷報告はかなりの長文なので分割し引用しているが、切りどころを間違えたらしい。上記の記述だけを読み始めただけでは全く意味がわからない。反省しつつ戸谷報告の引用を続ける。「〜筆跡鑑定が可能だと思う人達は色々の実験をやっております。例えば、その人が右手で書こうと左手で書こうと、あるいは口に筆をくわえて書こうと、足の指に筆をはさんで書いても字を書くという動作は結局は大脳皮質の反映である。そういう意味で今いったような実験もして筆跡鑑定は可能だということを主張しています。筆跡鑑定に対して非常に悲観的な考え方の人達は、確かに筆跡というものは大脳皮質の反映であって、大脳皮質というものは各個人個人が特有のものであろうから色々な形でそれが筆跡に反映される。そういうことは十分考えられるけれど問題はそれを我々が科学的に知ることができるか、究極的にはそういう方法はないのではないかと言っております。筆跡鑑定が可能だと思う人も不可能だと思う人も筆跡鑑定で、ある文書がある特定の人によって書かれたかどうかを判定するためには、似ているところ似ていないところを比較し、その中で個人特有の筆癖があるか、あるいはその筆癖が偶然の要素によるものではなくその人の真実の癖、即ち、大脳皮質の反映であるということをみなければいけない、こういうことでは、誰も問題にはしていないわけです。それが筆跡鑑定をする場合の形態の比較、あるいは字画構成の比較の要点であります。一般には筆跡鑑定をする場合に、この他に形態比較だけでは非常に不完全なので、例えばインクの質とか、あるいはその人の書いた色々の条件を考慮するとか、筆勢という言葉をよく使いますが、非常に元気がいい字だとか、元気がない字だとか、筆順これは筆を運ぶ順序ですが、これが個人の癖を反映するとか色々の角度からみていかなければいけないわけですが、一般的にみられるのは形態比較、あるいは字画構成比較が中心問題になるようです。字画構成というのは、第一画、第二画、第三画、第四画とか、一般に日本文字の場合は縦棒を書いたり、横棒を書いたり字画を構成して一つの字になるわけで、字画構成の非科学的な配置とか、長さとか、そういったものが一番筆跡鑑定に対しては手掛かりになるものであるということはフランスなどでも多くの実験をやり、その結果字画構成が鑑定の対象の中心問題だということが結論されています」・・・。ほう、大脳皮質の反映とな。ここまでが戸谷報告その一、「筆跡鑑定で、特に形態比較あるいは字画構成比較による要素は何であるかということ」についてである。                                           

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( 完璧に擬態し周囲の垣根に溶け込んだ生物が・・・)

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( 正体を現した生物。顔は猫であるが首から下は完全に羊である。ダウン一着作れそうな毛量に覆われ、厳冬対策は万全の状態である)