アル中の脳内日記

アル中親父による一人雑談ブログ

狭山の黒い闇に触れる 114

公判調書840丁。小島警部に促され六造証人は鴨居上から万年筆を取り出す。中田弁護人:「あなたは、その万年筆を手にしたわけですね」六造証人:「はい、それで手に持って写真を撮られました」中田弁護人:「手に持っておれと言われたんですか」六造証人:「はい」・・・。                                                         
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(写真は“無実の獄25年狭山事件写真集:解放出版社より引用)万年筆は小島警部が用意した袋に、六造証人により入れられたことを確認、ここで中田弁護人は質問を変える。中田弁護人:「関源三という警察官を知っていますね」・・・。ついに、私が気になっていた問題へ触れ始めたのである。中田弁護人:「今あなたが証言した二回目の捜索と三回目の捜索、三回目の捜索というのは、万年筆がでてきたときのことですが、その間に関巡査部長が、あなたの家に来たことがありますか」六造証人:「ええ、あります」中田弁護人:「万年筆が出て来た日からどのくらい前ですか」六造証人:「四日か五日ぐらい前だと思います」中田弁護人:「そのときに、あなたは、どこにいましたか」六造証人:「関さんが来たときは、私は寝てました」中田弁護人:「関さんが来たことをどうして知ったのですか」六造証人:「おふくろが起こしに来たんです」中田弁護人:「それで、あなたはどうしましたか」六造証人:「それで、何回も起こされるので起きたんです。そしたら関さんは上へ上がってて、なんだこっちに寝てるんかと言って、これから、弟さんに頼まれて、結局下着を取りに来たんだけれども、と言うんです。それで、おれには判らないから、お袋に聞いてくれと言ったんです。そしたら、お袋が、あとで届けるからとか言って、七、八分くらい話して帰ったと思うんですけど」・・・。ここで私が注目するのは六造証人が起きたとき、既に関巡査部長は家に上がっていたという箇所である。万年筆が発見される数日前に関源三巡査部長が石川宅に上がっていた事実。私の中で、薄墨色だった疑問が濃い黒色に変わってゆくのを感じた。( 続く )