アル中の脳内日記

アル中親父による一人雑談ブログ

狭山の黒い闇に触れる 65

477丁 昭和四十年十二月十四日。東京高等裁判所第四刑事部。橋本弁護人が諏訪部(事件当時、狭山署刑事課長)証人に問う。それは昭和三十八年六月十三日についてだ。弁護人「証人と被告人が一緒に並んで写真をとったことはないか」証人「記憶ありません」弁護人「その日、遠藤、青木が被告人と一緒に並んで写真を撮ったことを知らないか」証人「知りません」遠藤、青木とは共に石川被告を取り調べた警察官であるが、被告と並んで写真を撮ったとなると大問題であるからして、否定することに必死である。記憶がないと連発する諏訪部証人に橋本弁護人が「全然、記憶ないのか」と問うと証人は「全然というわけではありませんが、記憶ありません」と答え、弁護人「全然というわけではないと言われたが、それはどういう意味か」に対し証人は「私は写真を撮った記憶も、また撮られた記憶もないのです」と返す。私はこの諏訪部証人の返答が不自然と感じた。彼の答えが真実であれば、事実として写真は撮ってないと断言すれば良いのだ。「記憶がない」とは便利な言葉であるが、明らかにこれは物事に対しトボけるために存在する言葉ではなかろうか。                                                                        

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(humvee好きとしては嬉しい映画である)