アル中の脳内日記

アル中親父による一人雑談ブログ

闇稼業に備える 18

*  以前、私は狭山市内に住む70代の女性と出会った。折を見て、かなりソフトに狭山事件について尋ねた。すると、みるみる彼女の顔色が曇り「私は余計な事は喋らないよ、殺されたくないから」と答えた。            *  文殊社のジャーナリストが池袋で不審死を遂げる。生前、会社に名を名乗らぬ電話がかかり「これ以上首をつっこむと命はないぞ」と伝え電話は切れた。     *  石川一雄氏が仮出所後、しばらくして自宅が火事にあう。一説では放火との噂も聞かれた。                     これらの、ある勢力というか、ある側からの圧のようなものは実際のところ、どういった人間によってなされるのであろうか。熊本県人吉市で起きた免田事件では、免田栄氏が再審で無罪判決が確定したにもかかわらず、地元では「ぜったいにアイツのしわざだ」と根強く囁かれたとのことだ。名張毒ぶどう酒事件においても、やはり地元の人々の反応は同様であった。こういった感情を持った人々を満足させた事件が、小野悦男による首都圏女性連続殺人事件であったが、同一視しても良いのかどうか。個人の思いが深層心理に定着し、仮に事実がそれとは真逆だったとしても、修正が効かなくなった人々が醸し出す念のような、いや、ここまでくると思想と言って良いが、そのように自己洗脳を経た人々がやがて一歩踏み出し行動に出るのであろう。脱洗脳は余程の人格者と出逢わぬ限り達成は困難であるから。今、私は「東村山の闇」(矢野穂積朝木直子著 )に目を通しているが、これなど私が追及したい目的そのもの、目に見えぬ傀儡をあぶり出し、司法の手に委ねるという終着点に向かう、まだ過程の内容であるが、このタチの悪いゾンビのような犯罪者たちに矢野氏はどう立ち向かうのか、私は自分が読者である一線を越え共同戦線を張りたい気分である。だが、このような発言は徐々に私の生命に関わってくるだろう。暴かれては困る人々によって。                      

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(放ったパン切れに関心を寄せるA。左奥のBと恋仲である)