アル中の脳内日記

アル中親父による一人雑談ブログ

日雇いの頃 31

一時は天然の中砥、仕上げ砥合わせ五十個ほど集まったが、それぞれから一個ずつ選び出し残りは同好の士たちへ譲った。手元に残った砥石は以下の三点だ。    

f:id:alcoholicman:20210818134718j:plain

(奥が備水砥、手前左が京都産仕上げ砥、手前右は白名倉)この三点があれば私は生きていける。と思う。   

f:id:alcoholicman:20210818140108j:plain

備水砥の砥面拡大画像。この中砥は大当たりだった。        

f:id:alcoholicman:20210818140610j:plain

上が仕上げ砥。下は白名倉。左は比較用タバコ。研ぎの達人は砥石の厚みがハガキ一枚程に減るまで大事に使うとか。私にはこの仕上げ砥の肉厚があれば一生間に合うと思う。刃物をあてるとすぐさま鈍色の研ぎ汁が現れることからこの仕上げ砥も大当たりとしよう。中砥に関して、大村砥、伊予砥、天草砥、青砥など研ぎ比べて見たが、実は人造砥石に軍配があがるのでは?という感触を得た。更に仕上げ砥に関しても同じ事が言える。粒子が一定しているからだが、いずれにせよ砥石の世界は奥が深い。砥石集めには区切りをつけ今後は刃物研ぎそのものに集中することを決めた。   そんな充実した日々を過ごし数年経ったある日、私に突然の悲報が入る。堤さんが食道ガンにより亡くなったと。数日前に電話で会話したばかりなのだったが。また一人、大事な友が消えた。私には若い頃から似通った試練が度々与えられてきた。いずれも代わりのきかぬ御大ばかり、忽然とこの世を去っていった。やがては誰にでも訪れる「その日」に向かいながら、私は無駄な抵抗と知りながら、糖質を気にし、しじみ汁で肝臓をいたわり、煙草の煙をよけ、セコくシミったれた生活行動を取り始めた。人間のプライドなどとっくに捨て去っている。全ては生きる為である。