アル中の脳内日記

アル中親父による一人雑談ブログ

日雇いの頃 27

迂闊であった。なぜか。それは私の祖父が大工の棟梁だったと思い出したからだ。当時の大工道具が残っているかもしれない。私の郷里、岩手の親戚に連絡を取ると祖父母が亡くなった段階で片付けを済ませ、土地家屋を売りに出す段取り中だという。私にとって緊急事態発生である。親戚の話では大工道具の類いは無いとの事だが自分の目で見て確認せねば納得できない。会社の盆休みを利用し帰省、宮古市にある祖父母の家へ向かった。私には思い当たる場所があり、それは祖父母の子供たちが勉強部屋がわりに使っていた屋根裏部屋の存在である。私の記憶では、子供たちが育ち、家を出た後はそのまま封印されてしまった筈である。祖父母の家に着き早速捜索を開始、どの部屋も綺麗さっぱりであったので、例の屋根裏部屋へと突入した。大量の鼠の糞におののきながら奥へ進むと、古い乳母車や机などに埋もれた木製の道具箱を発見する。箱の中に黒い鋸が見えた。「ビンゴ!」だ。屋根裏部屋から三箱を運び出し終えた頃には、全身汗と埃にまみれたが全く苦にならない。念の為、縁側の下なども捜査したが収穫は無かった。小学生以来の祖父母宅は懐かしさで満ち溢れ、しばし感慨にふける。この家は先祖による忠告で山の上に建てられている。もちろん津波から逃れるためだ。おかげで昔起きた三陸沖大津波にも被害に遭わず、東日本大震災での津波にも無傷で済んだのである。前述の三陸沖大津波では、祖父母がありったけの米を炊き、山に避難して来た人々におにぎりを配ったそうだ。山の中腹には津波によって運ばれた漁船が腹を見せて横たわるなど、目をおおう惨状だったと聞いた。戦利品の道具箱を積んだ車で宮古市から水沢市に戻りながら、祖父母宅の売却前にこれらを回収する行動に移れた事を、私は普段信じぬ神に感謝した。