アル中の脳内日記

アル中親父による一人雑談ブログ

日雇いの頃 16

私が日雇い労働者となる前に一年ほど働いたイベント会社、「清水舞台」について軽く触れておこう。本社は高田馬場にあり、この当時、関東圏でのイベント業務はほぼこの会社が主導権を握っていたと思われる。私が在籍したのは、正確には清水スポーツと呼ばれる雑務作業専門の部門で、一般人、学生、ミュージシャンくずれ、俳優の卵、その他もろもろの人種が集結していた。東京ドーム、代々木第1、第2、武道館、横浜アリーナ、NKホールなどなど、ありとあらゆるイベント現場が目白押しで、希望すれば一日2現場、3現場でも仕事ができた。作業内容は基本的には椅子並べで、会場にシートを敷きテープで止め、バビッた基本線に合わせ三連、四連のパイプ椅子を並べてゆく。私が好んで、いや強く希望して従事した仕事が、東京ドームの裏側にあたる車両搬出入用通路、エアロックの操作員である。東京ドームは天井を膨らんだ状態に保つ為、気圧が高く設定されているが、その関係でドーム内に車両で出入りする際、二重シャッターを通過させる。その開閉スイッチ係が私の役目である。関係者は皆、小型無線機を貸与されており、エアロック通過を希望する車両があれば連絡が入る。なのでイヤフォン越しに連絡を待ち操作盤の前で椅子に座り待機するのだ。実はこの長い待機時間に旨味があり、私などは隠し持っていたスティックを取り出し、ドラム・ルーディメントの鍛錬に没頭した。ミーハーな私にとっては他にも多大なメリットがあり、例えばマイケル=ジャクソン来日時、至近距離で本人を見たり、ツアードラマーから直々にスティックを頂いたり、ボンジョビのドラマーと会話出来たり、氷室さんと会釈出来たり、他にもU2、ヴァンヘイレン、ポールマッカートニー、デュランデュランなど、全てステージ横で見ることが出来たり、更に本番終了後、使用済みのスティックやドラムヘッドを頂戴したりと、私は田舎者丸出しのミーハー行動をとっていたのだった。この当時は日本がバブルの時代に突入しつつある時期であり、こんな末端の現場でさえその恩恵に授かり、皆、ゆるい仕事でガッチリ稼いでいたのだった。ところで、清水舞台というイベント会社について書くつもりが、単に、個人として有意義な仕事だったと文脈から脱線していまった。何故こうなるのか。「ヒロユキ」に言わせれば「バカだから」となろうが、私は本多勝一佐藤優のような精密に分析できる方に問いたい。ブレずに短文を書くヒントを。