アル中の脳内日記

アル中親父による一人雑談ブログ

日雇いの頃 14

私に、キャンプ座間(神奈川座間市在日米軍基地)の出入ナンバーを取ってくれたAさんだが、実はAさんの兄が十数年前からキャンプ座間のスキート射撃クラブハウスの常連であり、その関係で私に運が回ってきたようだ。    ところで、Aさんが二十歳の頃(私と出会った時五十歳)バイトで貯めた四百万円を懐に、単身アメリカに飛んだ。カメラマンとしてアメリカに永住するためだ。しかし、この永住権はそう簡単に取得できない。役所に行ったり弁護士に相談したり、安宿に泊まって節約したが金は底をつき途方に暮れていた。そんな時声をかけてきた人が、フロリダに住む元アメリカ空軍退役軍人のB氏であった。B氏はAさんの志を知るや家族の住むフロリダの家まで連れて行き「好きなだけ居て良い」と一部屋与えてくれた。B氏の家は大家族が住む超大型の屋敷だったとのことだ。Aさんは好意に甘え半年ほど世話になった。B氏邸は敷地もえらく広い上、隣家までかなりの距離があったので、庭でドラムを叩いたり実銃で射的ごっこをしたりと、かなり自由な生活っぷりだった。Aさんは一年後に永住を断念、日本に帰国した。このAさんという人は、「もし余命一年となった時、今何をすべきか」という問いを自分にぶつけ、日頃の行動指針を定めている。私なら猫とジャレながら過ごすが、しかし二十歳そこそこで、こんなに自分を追い込める人間は見たことがなかった。更に、絞り込んだ目標に向かい躊躇なく踏み出せる、その自信はどこで、どう培ったのだろうか、ダラッと横になり鼻の穴をほじくり考えたが皆目見当がつかなかった。