アル中の脳内日記

アル中親父による一人雑談ブログ

日雇いの頃 10

毎日が地獄の冷凍コンテナ作業だったが、意外と私生活は充実していた。この頃私は休日をキャンプ座間で過ごしていた。昔、中学一年の頃から月刊GUN誌を貪り読むほど銃が好きだったが、それを知った先輩Aさんが、キャンプ座間に出入りするためのナンバーを基地関係者に用意してもらい、さらに一つしか選べない行き先(クラブハウス)がスキート射撃場という、驚愕の贈り物をくれたのだ。キャンプ座間基地内には、勤務している職員及び家族向けに、さまざまなレクリエーション施設があり、ゴルフ、ボーリング、バスケット、シューティングなどかなり充実しており、当時聞いた話で、アメリカ兵達は基地内で遊び、あまり外には出なかったらしい。日本国内で遊ぶと金がかかりすぎるとのことだ。私は平日に銀行で日本円をドルに変え準備、休日Aさんと座間基地へ向かう。指定された第七ゲート詰所で、あらかじめ頂いたナンバーを告げる。ここからは2キロ先にあるスキート射撃場クラブハウスまで、直行しなければいけない規則だ。事前にAさんからレクチャーを受けたが、傑作なのは米兵に、「銃を売ってくれ」などと冗談でも言うな、との事。見抜かれていたのだった。