アル中の脳内日記

アル中親父による一人雑談ブログ

2022-04-01から1ヶ月間の記事一覧

狭山の黒い闇に触れる 223

六月二十九〜三十日の捜索では腕時計は見つからなかった。だが七月二日になって腕時計発見の報が入る。二日間の捜索に加わっていた飯野源治警察官は、その発見地点について「ちょっとわかりにくいところにありましたが、捜索をもう少し広くやっておけばよか…

狭山の黒い闇に触れる 222

狭山事件に取り憑かれた私は、公判調書の一部を適量綴じて、どこへ出かける時も持ち歩く。これは、何も四六時中、狭山裁判の検証のみを考えているわけではなく、文章技術という角度からの見方、それから単に、読書という楽しみ方(事件被害者及び関係者の方…

狭山の黒い闇に触れる 221

「引用はあくまで原文のまま示さなければならない。引用部分と自分の文章とは明確にけじめをつけないと、他人の意見や報告をねじまげてしまい、ときにはとんだ迷惑をかけることになる。そしてカギの中は、あくまで忠実に原文に従わなければならない。極論す…

狭山の黒い闇に触れる 220

狭山市田中に居住の老人、小川松五郎が被害品の腕時計を発見した時の模様を、飯野源治警察官は、小川松五郎が時計を「積極的に捜した」のではなく「何かあるかなあ」という程度の意識で発見に至ったと述べたのであるが、ここを弁護人は、より詳細に尋問を行…

狭山の黒い闇に触れる 219

「五メートル問題」について一応の区切をつけた弁護人は、捜索時間の尋問に移った。六月二十九・三十日の、飯野源治が言う一日に二時間ぐらい捜索しているとの証言に「四人あるいはそれ以上の人が二日間、計四時間も調べて五メートルぐらいの幅しか調べなか…

狭山の黒い闇に触れる 218

証人飯野源治(警察官)は届け出のあった狭山市田中において、二日間に渡り目的物、つまり被害者の腕時計を捜索する。捜査員の数は四人から六人か、五年前という事で記憶ははっきりしないと答える。飯野源治は被疑者の書いた図面を基に現場周辺を探すが、念の…

狭山の黒い闇に触れる 217

被害者の所持品と見られる腕時計。これが狭山市田中で発見されるが、その二〜三日前に田中周辺を捜索したと飯野源治は述べる。「断言は出来ませんが、発見前、多分二日ぐらい、二日と言っても朝から五時までという意味ではありませんが、被疑者の略図に基づ…

狭山の黒い闇に触れる 216

狭山警察署勤務の小島朝政警部が、時計発見現場である狭山市田中に到着し実況見分が始まるが、それに伴い現場整理を行なったかどうか、について飯野源治は「あそこは裏通りですし、多少野次馬が居ましたが車が通りませんから、整理する警察官は必要なかった…

狭山の黒い闇に触れる 215

拙ブログ 212で触れた、弁護人から取調請求のあった証人・飯野源治に、予定通り昭和四十三年八月二十日に公判廷において尋問が行われた。【第二五回公判調書(供述) 氏名・飯野源治、職業・警察官、年令・三九才】昭和三十八年七月二日午前、狭山警察署捜査課…

狭山の黒い闇に触れる 214

・・・弁護団側による三十の証人と証拠の取調請求が却下された。却下が二十三、撤回が二、取調済が三、他が二である。これに対し弁護団側から『証拠調請求却下決定に対する異議の申立』がなされる。全文引用しよう。主任弁護人:「弁護人が取調請求をしていた…

狭山の黒い闇に触れる 213

調書1107〜8丁を見ると『第二五回公判調書(手続)』とあり被告人は、一夫こと石川一雄氏、公判をした年月日は 昭和四十三年八月二十日、公判をした場所は東京高等裁判所第四刑事部。裁判長判事=久永正勝、判事=津田正良、判事=四ツ谷 巌、裁判所書記官=飯…

狭山の黒い闇に触れる 212

調書1104丁『決定』……前回の、検察側の意見を聞いた裁判長がその採否を明らかにした。「〜当裁判所は、検事の意見を聞いたうえ、次のとおり決定する。昭和四三年八月六日付書面をもって弁護人から取調請求のあった証人飯野源治を昭和四三年八月二〇日午後一…

狭山の黒い闇に触れる 211

公判調書1100丁「求意見書」*石川一雄被告の弁護人から提出された「事実取調請求書」に関して、東京高裁・裁判長判事=久永正勝は、意見を求めるため検察庁検事=平岡俊將にその旨を伝えるが、それを紙に書いたものが「求意見書」である。これが昭和四十三…

狭山の黒い闇に触れる 210

前回取り上げた弁護側による事実取調請求書、その中の証人の一人、「高村 巌」氏に関して、直結する事柄なのでここに記す。その前に、上記の事実取調請求書の頁番号は1098丁であり、今から記す事柄の頁番号が1105丁であるから、七頁ほど先に進むが、この飛ば…

狭山の黒い闇に触れる 209

狭山事件裁判を自分の頭で理解するため、公判調書を読み、引用、抜粋し備忘録としてブログを書いているが、ここで日付の表記について触れておきたい。例えば次の日付があるとする。「昭和38年12月12日」これは「昭和三十八年十二月十二日」とも表記できる。…

狭山の黒い闇に触れる 208

公判調書1095丁。ここには『除籍謄本の送付について』とある。昭和四三年七月二六日、東京高等検察庁検事 木村 治から東京高等裁判所第四刑事部宛に提出されている。一部抜粋すると「『除籍謄本の送付について』強盗殺人等 石川一雄 右者に対する頭書被告事…

狭山の黒い闇に触れる 207

狭山事件公判調書第二審1092丁に進むと、次のような文面が現れた。「昭和三十九年(う)第八六一号強盗殺人等被告事件 被告人:石川一雄 弁護人 : 中田直人 同 : 植木敬夫 同 : 石田享 同 : 橋本紀徳 同 : 宇津秦親」宛名は「東京高等裁判所第四刑事部 御中」日…

狭山の黒い闇に触れる 206

前回、引用を終え公判調書の頁を一枚めくると三度目の上申書が載っていた。日付けは昭和四十三年三月二十七日。前回の上申書提出から十日程で出されているので急ぎの用事であろうか。早速引用してみる。「上申書 石川一雄 私は殺人等被告事件に依り、東京拘…

狭山の黒い闇に触れる 205

(前回より続く)昭和四十三年三月、東京拘置所に勾留中の石川一雄氏が裁判長に提出した上申書、その二項目の内の二つ目、これを引用する。「二、裁判長殿の故意で長引かせているとは思いませんが、私が犯してない事はすでに解っていただけたと思っています。…

狭山の黒い闇に触れる 204

前回、公判調書から引用した石川一雄氏の上申書、その日付けは昭和四十二年五月十七日である。引用が済み調書の頁を一枚めくると、またしても新たな上申書が載っていた。日付けは昭和四十三年三月十六日。ほぼ十ヶ月経過している。私は公判調書の書式や構成…

狭山の黒い闇に触れる 203

(前回より続く)昭和四十二年五月十七日、東京拘置所に勾留中の石川一雄氏が東京高裁の裁判官に宛てた上申書、そこに書かれた事情説明の内、二つ目の“窃盗”について全文引用してみよう。「(二)窃盗、石田さん宅を退めた(注:1)のだが、家に帰れず(父と口論し…

狭山の黒い闇に触れる 202

狭山事件公判調書第二審1085丁を開くと、そこには「上申書」なる文字がある。正確には「事件番号昭和三九年刑う第八六一号東京高裁第四刑事部 上申書 石川一雄」となる。宛名は「東京高等裁判所第四刑事部 裁判官 久永正照 殿(注:1)」とあり、この事件で犯人…

狭山の黒い闇に触れる 201

前回からの続き。「ヒルシュベルクが引用しているフランスの弁護士ダゲッソーの四十年前の言葉『筆蹟比較は、単に一つの論点・間接証拠・蓋然的推定でしかない。また、これほど容易に、別の言い方をすれば、これほど頻繁に誤りが犯されるものはない』は、そ…

狭山の黒い闇に触れる 200

狭山事件公判調書第二審1082丁 : (七)むすび……「筆蹟鑑定について、民事・刑事事件の法律としての規定、鑑定方法、鑑定結果の証拠価値等を中心に、ローマ時代から、英仏独米の現在までのあらましを述べてきた。各国によってその時代的変遷はさまざまである。…

狭山の黒い闇に触れる 199

(六)アメリカの続き……「アメリカでは広く陪審員という一般大衆が判断するわけで、それだけに常に世論に晒されている。これがアメリカにおいて鑑定を独断に陥らせない作用をしているように思う。鑑定料もそれなりに高く、千ドルから五千ドルであって、一年に…

狭山の黒い闇に触れる 198

(六)アメリカの続き……「まず問題になる点は、被告のものだとして提出された被検文書・照合文書の出所とか事件との関係が充分吟味されなければならない、ということである。今まで述べた例でこの事を説明すれば、ドレフュス事件におけるドレフュスが書いたと…

狭山の黒い闇に触れる 197

(六)アメリカ……「アメリカは、イギリスの植民地時代においてはイギリス本国と全く同じ取扱い方であった。しかし独立後には急速に商業や科学が発達したため、筆蹟鑑定が大幅に取り入れられるようになった。アメリカも、裁判は陪審員制度であり、国の裁判所と…

狭山の黒い闇に触れる 196

(五)ドイツの続き……「ヒルシュベルク自身も直接次のような事件を経験した。ミュンヘンの近郊の小さな村に令嬢たちと住んでいた貴婦人が、下劣で淫猥な内容の投書数通を受け取った。その手紙を警察に提出したところ、警察の筆蹟鑑定人は、その筆蹟はその貴婦…

狭山の黒い闇に触れる 195

(五)ドイツ……「ドイツ帝国統一が完成されたのは一八七一年である。一八七七年にはローマ法に習って法律が制定された。筆蹟鑑定に関してもこの時かなり精しく(くわしく)法律的に定められ、現在に及んでいる。刑事弁護人としてドイツで有名なヒルシュベルク博…

狭山の黒い闇に触れる 194

(四)フランスの続き……「筆蹟鑑定という点から見て興味あるのは、銀行専属の鑑定人は恐らくドレフュスのもの(筆蹟)ではないと思いつつも曖昧な返答をし、警視庁の課長のベルティオンはドレフュスの筆蹟と断定したことである。ドレフュス事件の再審請求の際に…