アル中の脳内日記

アル中親父による一人雑談ブログ

狭山の黒い闇に触れる 244

事実取調請求書・請求する証拠の番号=19〜22                   ここへきて、またも高度な表記に会い、私は歯ぎしりを我慢した。一瞥して、調書の頁めくり、その往復運動に追われそうである。再び証拠番号18に戻るのか?

この、法曹関係書によく見られる表記が、こうも頻繁に出現されては、狭山裁判の考察どころではなく、それ以前の問題である “分かりやすい文・表記” 、という側面からまずは公判調書に取組まねばならない。それには、一旦この公判調書を全文改訂し、少なくとも中学生の語学力でも理解できる文章・表記に改良しなければなるまい。いま老生の頭に、壮大なる改訂版の作成という計画がよぎったが、いかんせん着手するには遅すぎる年齢であり、またそのような能力も無い。若い世代の気骨ある者に、前述した問題点を解決されるよう期待し次へ進もう。さて、今回取り上げた証拠請求(証拠番号19〜22)は、大雑把にいえば弁護人と被告人との接見を捜査当局が妨害し、その妨害した事実を証明するために19〜22番の証拠を請求している。捜査当局の妨害が証明された場合、弁護側に有利であることは言うまでもない。ところで先程述べた「狭山事件公判調書・改訂版」であるが、私が「中学生の語学力でも理解できる文章・表記」としたわけは、この狭山事件は変だな、おかしな事件だなと思われた方に対し、敷居を下げ間口を広め、抵抗なく裁判資料に触れる、つまり入りやすくなると思うからである。これにより狭山事件裁判に興味を抱く者の裾野が広がり、裁判に疑問を持った者は、やがて再審請求の賛同に至る可能性もある。

狭山の黒い闇に触れる 243

事実取調請求書・請求する証拠の番号=18                  証拠番号18番は証人を請求している。その証人の住所・氏名は=浦和市常盤十丁目・将田政二、とあり、次にB(証明すべき事実)に移るが原文通り引用する。『[B]  10のG一、(一)、11のG一、13のG、14のG一、16のGの各報道記事のような事実があり、これら記事どおりに各証拠物が発見、領置されておれば、それらはすべて被告人と本件との関係を直ちに否定するに足るものであり、また、17のG一の記事の時期に、万年筆および時計を捜査当局が入手しているときは、被告人の自白の虚偽と無実は完全に証明されるから、これら各証拠物の発見、領置の有無、時期および発見時の状態、これらに関する捜査の内容、結果等を明らかにする。』・・・・・・・以上が[B]の内容である。低学歴の私には即座に理解できず、しばし放心のあと我に返り、ああ、これは厄介なことに、10のG一や(一)などを確認するにはブログを遡らねばならないと気付く。だが呑気に行ったり来たりを繰り返すのでは無駄が多すぎ、もっと合理的な表記方法を考えなければならない。この事を頭に入れ次へ進む。Cは、証人・将田政二への尋問事項である。『[C]  (一) 死体の荒縄、細引、手拭、タオルの結び目について捜査したか。結び目に特徴はなかったか。被告人の日ごろの結び方を捜査したか。(二)死体発見現場から数百メートルはなれた林の中に堀立小屋を発見したことはないか。そこから草刈りガマ、荒縄、エロ雑誌、ヌード写真、自動車運転免許法令集、ペン習字帳、絵本等を発見したことはないか。これらに関してどのような捜査をしたか。その結果はどうか。(三)死体発見のさい、丸京青果または丸郷青果の荷札が出てこなかったか。あったとすれば、これについてどのような捜査をしたか。その結果はどうか。(四)六月二十五日以前に、被害者の万年筆、腕時計を発見したのではないか。(五)その他関連する事項。』そして最後に[D](主尋問に要すべき見込みの時間)=1時間とある。将田政二という方は事件当時の狭山警察署の警察官である。すると今回取り上げた証拠番号18番の請求は却下される可能性が特に高い。警察・検察にとって都合が悪いからである。たった今、「特に高い」と述べたが、そもそも弁護側による事実取調請求自体が却下される可能性に満ちているのであり、いずれこれらの結果(可否)は公判調書に表れるであろうから、この件はそちらで触れたい。                             

(魔の時間・青地しん・筑摩書房より)

狭山の黒い闇に触れる 242

事実取調請求書・請求する証拠の番号=17                     請求する証拠の標目 =「週刊文春(昭和三十八年)七月八日号・三十四頁以下『石川一雄自供発表の夜』と題する記事」*被害者の腕時計は七月二日に発見されるのだが、それ以前から腕時計の存在を警察が把握していた可能性がある。記事によると「六月二十五日、中刑事部長が『石川が単独犯行と自供した』と発表したが、その記者会見のあった日の夜、A紙の記者の耳に『警察が被害者の万年筆と時計を見つけた』との重大な情報が入ってきた」とあり、この記事内容が証明された場合、石川一雄被告人の「六月二十八日頃、取調官から被害者の腕時計を見せられた」旨の供述はその証明力を補強されるのである。いや補強どころでは済まされない展開につながるだろう。記事中にある「万年筆と時計がすでに六月二十五日に見つかっていた」となると只事ではない。私は是非とも証拠番号17番は請求が通って欲しいと願ったが、ふと我に返り、該当の週刊紙は59年前の発行であり、この裁判記録(第二審)が54年前のものであったことに気付く。熱中し過ぎて、つい現在進行形の裁判だと勘違いしてしまう。        

狭山の黒い闇に触れる 241

事実取調請求書・請求する証拠の番号=16                           証拠番号=16番は新聞の記事を指し、それは「“ 疑いの男 ” 一人姿消す   狭山の女子高生殺し捜査進まず」という見出しのある記事である。記事の内容は、「特捜本部は、死体に付いてあった布きれに付いていた東京・築地市場の丸郷青果の荷札は、その後の調べで、地元の堀兼農協が農作物の出荷用に、主として上赤坂地区の農家に配っているもので、農家は使わないで残った分は畑を区切った時の目印などにしたりするほか、農家以外にも多少流れていることがわかり、犯人が地元にいることの一つの裏付けがとれた」とある。この記事をもって何を証明しようとするのか分からず、私はしばらく悩んだが、おそらく次の事柄ではなかろうかと考えた。「荷札は遺体とともに見つかった。荷札は上赤坂地区に配られている。犯人は上赤坂地区の者である可能性が高い」かなり乱暴な推察だが、これによってもう一つの推察を加えることができる。「入間川駅(当時)近くに居住していた石川一雄被告人は、地理的に上赤坂地区とは距離があり、荷札を容易には入手出来ず、犯人である可能性は低い」・・・この結論に導くため、報道記事を証拠として請求したのではなかろうか。                                                                                      

( 散歩中、私の横にパトカーが急停車した。職質かと身構えるが、どうも通りの先で起きた事故処理らしい。人相が変化したのか、私に対する職務質問はここ数年で激減し、健全な一般人として扱われ始めている)


                                                
                                                                                        

狭山の黒い闇に触れる 240

事実取調請求書・請求する証拠の番号=15                          証拠番号15番は、証人・長谷部梅吉が第八回公判で述べた供述と矛盾する報道記事が掲載されおり、これは証人・長谷部梅吉供述の証明力を減殺するものであることから請求された。請求された新聞記事=昭和三十八年五月七日付朝日新聞朝刊・十二版十五面「情報の裏付け急ぐ  三人の男決め手つかめず」という見出しのある記事。記事の内容=「特捜本部は、念のため奥富玄二さんの血液型を埼玉県警本部の鑑識課に送って調べたところB型で、被害者から検出した犯人のものとみられるB型と同じなので、七日さらに東京・九段の警察庁科学警察研究所に送って精密検査を行なうという」・・・・・・以上が請求された証拠番号15番である。精密検査の結果が気になるところだが、この血液型がBである男性については、いずれ深く触れなければならない。                                                                                      

( 草むらにて待機中の猫たち。この後、配膳係の叔母さまが巡回して来る予定だ。かなり待ち侘びている表情が微笑ましい )

狭山の黒い闇に触れる 239

事実取調請求書・請求する証拠の番号=14                          【E】昭和三十八年五月六日付朝日新聞夕刊三版七面(一)「新事実つきとめる  下校中にも目撃者  容疑線上に三人の男」という見出しのある記事。(二)「元作男が結婚前に “自殺”    被害者宅で働いていた」という見出しのある記事。【F】(一)EおよびGの一については証拠物。(二)EおよびGの二については法第三二八条書面。【G】(一)特捜本部は、被害者の自宅に近く、三日未明身代金引渡しの際、捜査当局が遠巻きにした警戒網のなかに住んでいるAに疑いが濃いとしているが、一日午後、被害者が自転車に乗って帰宅する姿を中学生奥富孝志が見かけているのを聞込み、また、日本手拭は五十子米穀店が得意先のことを調べ、手拭が配られていることを調べ、手拭と一緒に、堀兼農協が農産物を出荷している東京築地の丸京青果の荷札が死体から見つかったので、有力容疑者Aらとの関連について調べている旨の報道記事がある事実。(二)9の書証のG一と同じ。【H】(一)G一記載の趣旨の記事。(二)農薬投身自殺した奥富玄二さんは、死んだ被害者の家に作男として働いていたことがあるので、捜査本部で調査している旨の記事がある。以上。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。むう、前回の13に引き続き、請求証拠番号=14も強敵である。ある一つの項目の中に、異なる二つの文章を入れ、一枚の夕刊を証拠に、それぞれの文章を証明する、大ざっぱに言えばそのような表記である。そもそもが裁判記録であるから、難解・複雑・紛らわしいことはどうでもよく、むしろ法曹関係者には喜ばれる書き方なのかも知れないが、暇な私には勉強になる点もある。例えば【G】(一)の記述は文章という面から見た場合、非常に分かりづらいことに気付く。いや、中にはスラスラと読み進め一発で内容が理解できる御仁もいるだろうが、私の能力上、まず、なぜ分かりづらいのかを分析しなければならない。この分析が勉強となる。修飾する側、される側や、文の順序を入れ替えてみる、などの限られた知識を手懸りに観察した結果、次に挙げる分析に到達した。【G】(一)の3段目「〜Aに疑いが濃いとしているが」・・・ここまでは分かる。しかし接続助詞「が」とある以上、文中のどこかにそれを「受ける」言葉があり、それは【G】(一)9段目「〜関連について調べている」にかかってくる。すると、この間述べられている、中学生の目撃者、手拭、荷札、これらの情報が多すぎ、修飾する側とされる側の距離が遠くなり、これが原因で文章として分かりづらくなっていると考え、試しに改訂文を作成してみた。    
「特捜本部は、三日未明の身代金引渡しに現れた男が現場付近に住むAとの疑いを強めた。さらに事件当日、被害者が自転車で帰宅する姿を見た目撃証言や、五十子米穀店の手拭配布先、被害者埋没現場から発見された荷札などを含め、Aとの関連を調査中である」    
修飾する側、される側を直結し、文章を一旦終わらせる。その後に細々とした捜査状況を羅列し、「〜などを含め」と集約、「〜捜査中である」と締めた。中々分かりやすい文章になった気がするが・・・。                    

(写真は“無実の獄25年・狭山事件写真集・部落解放同盟中央本部中央狭山闘争本部編・解放出版社より引用)

狭山の黒い闇に触れる 238

事実取調請求書・請求する証拠の番号=13。本日は、この13番を原文通りに引用してみる。(下の写真は、原文の各項に振られたアルファベットが何を指すか確認するためのガイド代わりに載せた)                                                                                             
【E】昭和三十八年五月七日付毎日新聞夕刊「ナワの結びに特徴」という記事。【F】証拠物および法第三二八条書面。【G】死体の縄には、よじったような特殊な結び方の特徴がある旨の報道記事がある事実および10の書証のG一(二)と同じ。【H】G記載の趣旨の記事。・・・・・・以上が原文である。私は頭が悪いので、例えば【E】を目にした場合、【E】とは何ぞやと調書を三ページほど戻り、上写真にある説明を見、ほほう、証拠の標目であったかと確認、三ページ進み、次は【F】か、【F】って何だと再び三ページ戻り、を繰り返すのである。【G】に至っては奥歯にヒビが入るほど歯ぎしりする始末であった。まずは「10」という数字が何を指すか三ページ戻り「ああ、そうそう請求する証拠の番号ね」と納得、その「10」が載る二ページ先に移動するも「10」の書証のG一か二、または(一)だったか(二)だったか忘れ、再び一ページ進み「10」の書証のG一(二)であることを確認、三ページ戻り、そこに記載された内容が、何故「証拠番号13のG」に関わってくるかと、やっとここで考察にはいることができるのである。そして、ここまで到達しながらも、「請求する証拠」の中身によっては、本来の最も重要な目的である『この証拠を請求することで何を証明するのか』という「解」に辿り着けず、そのような日は、己れの低い読解力を呪いながら頭から酒をかぶりフテ寝するのである。公判調書という法曹界独特の文章方式に満ちたこの作品は、低学歴者を拒絶するチカラを秘めている。