アル中の脳内日記

アル中親父による一人雑談ブログ

闇稼業に備える 16

(前回からの続き)捜査本部は「少時」を見つけられなかった。昭和35年10月狭山署長着任の竹内武雄は「あの辺の埼玉のあたりならば、普通であれば田舎の駐在2年やればほとんど自分の受持ち部内の子供などは大体頭に入ってくるということですね」(第41回公判)。更に弁護人の質問「どういう方法で徹底的に調べていくわけですか。少時という人間が存在するかどうかについて」に「それはまあ、警察のほうにも、市役所に照会というかね、そうしなくても、あの辺になりますと在ですから、これはもう、そういう記録を見なくても、ほとんどわかります。そういう公簿を引っ張り出さなくても、捜査員でも、大体受持ちが、自分のところだけはわかりますからね、2.3年いればほとんど。」これに対して弁護人は淡々と語る。「昭和38年当時、狭山署管内に長島少時(35)という人物が実在し、同年4月30日頃、銃の所持許可を取得。4才の女の子がいる。」なんたる弁護人たちの捜査能力であろうか。ここまで読んで私は舌を巻いた。狭山警察の面目丸つぶれである。

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闇稼業に備える 15

脅迫状の封筒には元々「少時様」と書かれていた。宛名が書いてあるという事は「少時」なる人物が実在しており、差出人は「少時」という人を知っていて脅迫状を作成したと、私は考える。結果的には「少時」から「中田栄作」に宛名が変更されるが、ここに重要なヒントが現れるのだ。脅迫状の宛名は「中田栄作」であり、娘ではない。親に宛てた脅迫状なので「少時」の件を調べる場合、これを子供の名前ではなく親の名前と仮定しなければならない。脅迫状は誘拐された子供の親に宛てられるわけなので、「少時」を「幼稚園の小さい子供か、せいぜい高校程度であろうと、そんな大きな30や40のそういうのは、あまり考えておりません」(竹内武雄 狭山署長)と考えていた警察の判断は誤っていたのではないか。以上第二審第四分p2140                                                                                                        狭山事件本(題名失念)併読の感想である。

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(無実の獄25年 狭山事件写真集 解放出版社より引用)

闇稼業に備える 14

狭山中央図書館で狭山事件公判調書を読み耽る・・・(第二審 第六分冊 第六十一〜六十八回公判3342より)「脅迫状を読み終えるかどうかの時、弟のKが表に出てみた。と、猫が東のすみのところにいた」・・・。上記の、証人(長兄)による証言の趣旨は、やや脚色して書き表すと、父親、長兄らが脅迫状に目を通し終え顔を見合わせたその時、傍に居た弟が、万が一脅迫状の投函者が付近に居るかも知れぬと表に出た、その時の模様だ。弟の目に留まったのは人影ではなく猫の姿であった。そして証人はこの「猫が東のすみにいた」という弟の話が印象に残ったと弁護人に語る。前後の文脈から見てもこの猫の登場は唐突である。さて、ここを読んだ時、ある作家の発言が思い出された・・。「例えばイタリアン=リアリズムが発明してくれたイメージ。事件とは無関係にふと道を横切る犬とか、風に吹かれて飛んでいく古新聞とか(阿部公房)」(マスコミかジャーナリズムか:本多勝一著)・・・これだ。事件と無関係な、偶然そこにいた猫の存在を並列させ述べる証人のイタリアン=リアリズム。しかし、冒頭の証言は小説でも映画でもなく現実である。そして当夜の状況は深刻であり、帰宅せぬ妹、そのなか届いた脅迫状とその内容を知れば、やはり意識はそこに集中し、犬や猫がどこに居ようが眼中に入ることはないのではないか、と私は考えるが・・・。今回の短文で即座に事件の状況を理解できた方は相当な変わり者、いや、狭山事件再審請求適任者と呼んで良いだろう。

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興奮した脳を冷やすには狭山茶に限る。ピリッと辛口美味しい狭山茶



闇稼業に備える 13

狭山事件において犯人が残した唯一の物証、それは「脅迫状」である。 身代金の要求、その金額、受け渡し日時、場所、受け渡し人の指定、周囲への口止め、人質の生死などが一枚の便箋にまとめられている。これにもとづき警察は受け渡し現場周辺に数十人の捜査員を張り込ませた。この時点では警察側の対応は完璧と思われたが・・。一枚の紙に取引上必要な全情報を記入し実際に指定時間に現れた犯人の行動は、犯罪者として失格である。事実、取引現場周辺は、捜査員が相当数待ち構える体制が整っていたからだ。にもかかわらず犯人が逃走できたのは、実はこの捜査員側に落ち度があったからだ。正確に言うと、取引現場に張り込ませる捜査員を割り振りした警察幹部、となろう。当初は狭山警察署の署員のみで張り込む体制であったが、急遽、埼玉県警が「応援」という名目で狭山署に参上、すでに決定していた狭山署の捜査方針(張込み時の具体的人員配置など)を白紙に戻し、県警主導案に変えた。本来は、地元の土地鑑豊富な狭山署員を二人一組で数十組を現場配置予定であったが、これを変更、狭山署員と県警の人間を二人一組に組み直し現場配置を指示した。つまり土地鑑のある人間が半数に減ったわけだ。取引指定時間は夜中の十二時である。  闇夜の中、有事が発生した場合、取引現場など見たこともない県警の衆はどう動こうとするのか。知っての通り、結果は甚大で後世まで揉めることとなってゆくのだ。狭山署だけで対応していたら・・・。

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(写真は身代金取引に指定された現場)                      



闇稼業に備える 12

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狭山事件。私はなるべく素人推理は避けるよう努めてきた。が、たまたま読んだ関連書籍に、「なるほど」と思わせる記述があったのでここにメモってみた。 以下、「自白崩壊 [狭山裁判二十年]」狭山事件再審弁護団P.114より抜粋。*************                                      「五月一日のまだ宵の頃で、誰に会うかも知れない N家付近で、平気で自転車を納屋に運び脅迫状を投げ込むことができたのは、どういう人間か、N家の人や近所の人に会ったら[放置されてあったから持ってきて上げた]と平然と弁解できるような人でなければなりません」・・・  。私が「なるほど」と思ったわけは、事件当時、N家の父親が報道の質問に対して「犯人は顔見知りの人でしょう」と答えていた記述を思い出したからだ。たしかに、納屋が被害者の自転車置き場だったとか、番犬は飼っていないとか、脅迫状を投げ込む時間帯には家族全員が屋内にいることを把握しているなど、犯人はよほどの情報を掴んでいた、つまり「顔見知り」というわけだ。つい、こういった推理に目が向いてしまうのも、この狭山事件が持つ特性の一つではあるまいか。私は最近になって知ったが、アニメ「となりのトトロ」と狭山事件を関連付け、若者達がネット上で盛り上がっていたりするらしい。今から58年前の事件を彼らが知っている事実は他の事件ではあり得ないのではないだろうか。冒頭の写真は事件での身代金受け渡し場所近くのバス停。後方に見える景色が当時の面影をわずかに残している。私がこの辺りを散策すると心臓の鼓動が早まるのは気のせいであろうか。

闇稼業に備える 11

いつもは玄関から現れ、座ってくれと勧めても玄関に立ちっぱなしの巡査・関 源三が、裏の勝手口に現れ廊下に上がり、「なんだ、こっちで寝てるんか」と言ってきた。関 源三の来訪で、寝ていた長男を母が起こした直後の場面だ。被害者の万年筆が勝手口から発見される4日〜5日前の出来事である 。家宅捜査初回と2回目にすでに徹底的に捜査されているのに、3回目で万年筆が発見されるこの展開は警察にとって黒い憶測を呼ぶ事になる。前2回とも玄関から上がっているのに3回目の家宅捜査では玄関ではなく井戸の方から来たのは何故か? そして立ち会った長兄に万年筆の場所を示す図面をちらつかせ「ここだ」と指差し、鴨居にあった万年筆を素手で取らせた。あえて繰り返すが「素手」である。殺人事件の証拠品を素手で取らせたのは何故か?  私は非常にキナ臭さを感じるが。                                              

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(写真引用元失念)しかし、それにしてもこの狭山事件公判調書に目を通すと、まずは事件後の経過そのものが疑惑にあふれており、したがって疑惑にあふれた証拠を根拠に裁判となると、より辻褄の合わぬ展開はまぬがれない訳であり、その一端は証人として出廷した警察関係者が軒並み早期退職してゆく事実に垣間見れるのだ。はっきり言ってしまえば、後ろめたい、やましい、良心に恥じる、気が咎める、からであろう。おやおや、古本の「せどり」にも通ずるではないか。

闇稼業に備える 10

時に私は「せどり」という創造性のかけらもない後ろ指を指される行為を封印し、狭山中央図書館・郷土資料室にこもったりする。この小部屋で狭山事件公判調書を読み耽るという、至福の時間を過ごすためだ。   問「その自転車の荷台見ましたか」********                       答「自転車は中古でしたね」***********                                    弁護人と証人の問答であるが、裁判官たちも当然、これを目の前で聴いている。もちろん検察側も。この噛み合わない問答に対して誰も指摘せず、裁判は進行してゆくが、やはりこの場合「新品か中古か?ではなく、荷台を見たか見ないか?という質問だ」と、問いの趣旨を明確にし裁判を進行させるべきと思う。野間宏「狭山裁判」においては、日本語の文章法という観点から公判記録を詳細に分析し指摘されているが、一般人が読んでも、疑問が湧く問答が散見されるのが、この裁判の特徴である。「日本語の作文技術」(本多勝一著)に助けられながらなんとか公判記録を読み進めているが、まず感じたのは上記の点であった。とはいえ、この雑記も読みづらいと気付き、他人の事よりまず自分だと反省する。まぁだいたいが酔いに任せて書いてるからなぁ。写真は「狭山市史」必携である。

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(このゴツめの本は某古書店の閉店セールで四冊四百円で入手し私はガッツポーズを決めた)私ごときが言うのもなんだが、狭山事件に深く取り組んでいくためにはこういった補足資料も非常に大事である。